クモ膜下出血闘病記

急性期(手術)編 その4

手術後の初対面は、本人の意識もなく、数分で終わりました。
主たちは再び控室へと戻りました。
そうこうしているうちに、時間は7時過ぎとなり、昨日一緒にいた友人が会いに来ました。
ベラさんの友人も、東京の人ではなく、本当は昨日解散して帰るはずだったのが、こんなこととなりわざわざホテルに泊まって今朝来てくれたのでした。
容体を伝えたものの、友人たちは本人と会うことはできず、しかし付き添ってくださりました。
昨日連絡したベラさんの両親が、朝一番に向かうということで、到着を待つこことなりました。
ベラさんは北の方の出身だったので、ご両親も昨日はすぐに向かうことができなかったのです。

ようやく東京に着いたと連絡が入ったのが8時前でした。
主は、果たして病院に着けるだろうかと心配しながら、病院の玄関へ迎えに行きました。

昨日は夜に着いたことと、気が動転していて病院のことをよくわかっていませんでした。
明るくなり、出勤する職員の方と、通院された患者さんとで入口は人でいっぱいでした。
病院の朝を知らなかったので、この混雑っぷりはなかなかの衝撃でした。

しばらくしてタクシーからベラさんの御両親と姪が降りてきました。
主としては、かける言葉もなく、ただ「こんなことになってすみません」と言うだけでした。
「〇〇(主)のせいじゃないんだから」と御両親からは声をかけられ、病院へ入っていきました。

ICUに向かい、ベラさんの両親が来たことを伝え、面会をさせてもらいました。
病室で、看護師さんから「さっき声を掛けたら手を動かしてくれましたよ」と言われました。
ベラさんの名前を呼びましたが、特に反応はありませんでした。その時は、主も母もベラさんの御両親も全員が沈痛な思いで過ごしました。
その時の失態を。
看護師が少し慌てていて、何かと思ったら「小学生以下の子はここには入れないんです・・・。」と。姪は小1でした。小学生以下というのが幼稚園児とかのことかと思っていたので、こちらも詫びて退室しました。

一晩過ごした控室に戻り、みんなでしばらく過ごしたのち、主治医より再度説明してくださるということで別室へ案内されました。
内容としては、術後の説明とほぼ同じで、ベラさんの御両親へ改めて説明をしてくださったようです。
ひととおり終わり、午後もお昼も過ぎており、一行は帰宅となったのでした。

続く・・・。

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